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心にうつりゆくよしなしごとを、ただ綴っていたいだけです。

わたしが東大大学院に合格するまで(2)〜大学院試験〜

大学院受験となり、いざ研究室を決めることとなりました。都市デザインゼミだったので都市デザイン研究室に行こうと考えました。ただ建築の視点も交えた研究がしたかったので、横市の院は玉に瑕でした。で、知り合いも通ってて興味のあった東大の都市デザイン研究室に志望を固めました。ありがたいことに3月に研究室訪問を受け入れていただき、シケプリや講義資料等をいただきました。

 

3月から頂いた資料をもとに、市大の図書館で3,40冊の本を借りて家に引きこもり勉強し始めました。学部の講義を真面目に受けていたつもりでしたが、目から鱗な事ばかりで色んなことに気付かされました。都市計画(法)、都市デザイン、緑地計画、国土計画、交通計画、都市防災、数理計画、住環境…都市工学のさまざまなアプローチを徹底的に学習しました。

 

ただ、こう勉強していると自分が何に興味があるのか見失いかけた時期もありました。それも先行研究の中にはテーマは面白いが結論に至るまでのプロセスに問題があるもの、趣味の領域にとどまっているものが潜んでいて、私が興味を持つ、かつ研究の目的がある対象は何か探す事に苦戦しました。自問自答を繰り返しながら何とか書類を作成し、出願しました。

 

時を同じくして新型ウイルスの猛威は日本中を大きく震撼させました。緊急事態宣言発令に伴う大学・専門学校の休校、アルバイト先の臨時休業等、予期せぬ事態となりました。

ただリモート化や休業手当給付、大学図書館の本の自宅受け取り無期限借出が可能になったことで良好な学習環境を享受できました。試験形態の変更には多少戸惑いましたが、数百冊の文献や雑誌を読み、noteで購入した過去問対策集も解いて、自信満々で記述試験に臨みました。

 

8/22に専門科目と論文試験があって、まあまあな出来だったと思います。8/26に合格者には連絡があるとのことだったので、首を長くして待っていました。

 

あれは8/25のことだったでしょうか。私は専門学校で集合住宅の課題のエスキスをしていました。描画中、Gmailを受信したので確認してみると、

 

 

 

 

東京大学工学系研究科からの不合格通

 

 

 

 

 

辛いのと悲しいのとごちゃごちゃした感情の中で、とにかく生きてることで精一杯でした。プライベートを削って週6で東京にダブルスクールしてまで都市計画に向かい合ってたのに。数ヶ月間毎日10時間以上勉強してたのに。これまでの人生でもしかしたら初めて自分の意志で決めた決断なのに。何で1日フライングで不合格を伝えられたのだろう。

製図をやる気力なんてないから帰りました。帰宅すると「おかえりー!連絡明日だね!」と家族は声をかけてくれましたが、言葉を左から右に流して、コンタクトもメイクもそのままで眠りにつきました。

 

目が覚めても起きたくなくて、その次の日はひたすら寝ました。ただそうしてるうちに違う道を探さなきゃ、という理性も自分の中で芽生えてきました。大学院不合格の場合は就活しようと決めてましたがいざそうなると決めきれなかったです。環境に甘えてました。

やっと本気で行きたいと思える場所を見つけたのに、どうしてそこに行けないんだろう。受験勉強を通して、東大への思いは日増しに強くなってました。やっぱり東大に行きたい、今からでも行ける所はないのか。専攻研究内容関係なく闇雲に探し始めました。そこで見つけたのが柏のGPSS-GLIです。高い英語能力を表すために、私に一番合ってそうなIELTSの勉強を始めました。だんだん夏の不合格が悔しくなって、寝る時間以外は勉強してました。そうこうしてると体重が10kg近く減りました。

 

英語試験は10/25でしたが、スピーキングで大きなミスをしてしまいました。IELTSのスピーキングって、面接官が目の前にいて自分の考えを話すものなんですが、あがり症の私にとって怖い顔で見られながら話すのは、英語力以前の問題です。どもりすぎて面接官も心配だったでしょう。

 

都市工もダメ、英語試験もダメ、という酷い学生の進路について、横市の教授は真摯にアドバイスをしてくれました。そこで東京大学大学院情報学環・学際情報学府を紹介していただきました。都市工の院試対策で、実は私がデザインというより都市の数理計画やヘドニックのような統計手法に興味があることに気づいていました。また理系脳の私にとって都市解析の研究は非常に飲み込みやすいものでしたし、データサイエンスにも関心はありました。

都市計画分野では縛りや難しさ、また自分のセンスの無さ(抽象的なものを形に落とし込むのが苦手)に直面して研究者としての将来に不安があったんですが、この分野なら自分が活躍できるのではないか。三度目の正直を信じて出願を決めました。

 

それから数ヶ月、努力に努力を重ねて勉強して、幸いな事に冬季試験で合格することができました。今までの積み重ねがあったからなしえたことかもしれませんが、大学院全体で10人ほどしか募集してなかったため、本当に奇跡です。